【第5回】 外発的動機付けから内発的動機付けへ。子どもの意欲はどう変わるか? ~後編~

2022.1.17

【第5回】 外発的動機付けから内発的動機付けへ。子どもの意欲はどう変わるか? ~後編~

近年、クイズやくじ引き、ロールプレイングといったゲームの要素を取り入れることで学習効果を高める「ゲーミフィケーション」という仕組みへの注目が高まっています。
「ゲーミフィケーション」×教育の研究成果の蓄積も急速に増えつつあるなかで、勉強を楽しいものに変えるにはどうすればよいか、具体的にどう取り入れればいいのか。

その可能性について、第一線で研究をしている東京大学の藤本徹准教授にお話を伺いました。

本シリーズでは「ゲーミフィケーション」の考え方や活用方法、ゲームとの関わり方について、全10編の連載形式でお届けします。


藤本先生.jpg東京大学大学院 情報学環 准教授 藤本 徹(ふじもと とおる)先生
慶應義塾大学環境情報学部卒。民間企業等を経てペンシルバニア州立大学大学院教授システム学博士課程修了。博士(Ph.D.)。情報学環特任助教、大学総合教育研究センター助教、特任講師を経て、2019年より現職。専門は教授システム学、ゲーム学習論、オンライン教育。著書に「シリアスゲーム」(東京電機大学出版局)、「ゲームと教育・学習」(共編著・ミネルヴァ書房)、訳書に「幸せな未来は「ゲーム」が創る」(早川書房)など。



楽しみながら学ぶ!ゲーミフィケーションの魅力とは。

外発的動機付けから内発的動機付けへ。子どもの意欲はどう変わるか? ~後編~



■内発的動機付けへ

ゴールや、その人が望む報酬というのは常に一定ではないということですね。最初はお小遣いやゲームをやるということだった報酬が、テストで80点、100点を取って、その点数を取りたいということが自分の次のゴールになり、それがさらにステップアップしていくことはあるのでしょうか。また、学習の楽しさや子どもの将来の夢など、外発的な報酬と異なるところにゴール設定をすることで、内発的動機へと移行させていくことはできるのでしょうか。

だんだん出来るようになると、学校でも「ここまでできているなら、次のステップを目指してやらないか」という新たなテーマがでてきますよね。「このぐらいできるようになったら、あの高校に行けるんだ」とか「大学を目指せるんだ」というようなテーマも出てきます。

次のステップをテーマ設定してしまえば、お小遣いや競争のような仕掛けは必要なくなるわけです。その代わりに、その人の向かっていくテーマに合わせて、どういうサポートをすればいいのかということを考えて設定していきます。もうその段階では、即時的な楽しさの要素よりは、純粋にその問題が解ける楽しさや時間をかけて何かができるようになる楽しさにフォーカスしたようなサポートの方が求められるようになります。

そうやって外発的動機付けが徐々に高次元のものとなり、内発的動機付けへステップアップしていくことが可能です。


■ゲーム的な要素を日々の生活にいれてみる

最初は報酬によって外発的動機付けをしたとしても、ゲーム的な要素を入れていくことは次のステップへ進むきっかけ作りにとても効果的ということですね。これは学習の初期段階だけに限った話なのでしょうか。

より複雑で高度な問題を解くためのゲーミフィケーション的な考え方ももちろんあります。ちょっと飽きてきたなという時にゲーム的な活動を入れて、またやろうかという様に気持ちを切り替えることもできます。

また、だんだんある時、学習者の子どもの側が学習をゲーム的に見られるようになって。「じゃあこの模試でどれぐらい点を取ればどういう判定になるかな」というようなことを自分で考えるようになる。東大生にもゲーム好きで、受験もゲームみたいにやれると考え、それで受験戦争を勝ち残ってきたような話をよく聞きます。受験勉強を構造的にゲームとして捉えて、うまくトライして上達して行くような、ゲーム的な感覚を取り入れて受験に臨むような考え方が働いています。

ゲーミフィケーションの考え方として、どのようなゴールを設定し、どうやって達成するのか、その攻略の問題や、それをいかに楽しく演出するかといったことがあります。経済学でもゲーム理論というものがありますが、そこでは人間の活動をモデル化して、より利得を得るための行動を研究しています。例えば、資本主義の昔ながらの騙しあいと駆け引きのようなものから、段々とそれではゲームに勝てないということで、SDGsや社会的な責任を入れた方がよりその社会全体が平和になり、より豊かな世界になるということで、社会のルールの変更のようなことをしているわけです。ゲーミフィケーションの手法は、その具体的な手法として位置づけられますし、ゲーム的に物事を考えることで「社会を良い方向に動かすための手法」として活かすことができると思います。